カレーをめっちゃ作った話
私ね、こないだね、カレーを30人分作りまして。家庭の台所の規模でですよ?家庭の台所の規模で30人分ですよ?まあ大変でしたよ。ああ、大変でしたよ!それもこれも、自分が悪いんやけどね!!笑
きっかけはふとした事でした。帰り道の交差点で、声を掛けてくれたね『一緒に帰ろう』
僕は照れくさそうに、カバンで顔を隠しながら、本当はとてもとても嬉しかったよ。
間違えました。これはZONE「secret base ~君がくれたもの~」の歌詞でした。失礼いたしました。ちなみに、夏っていつまで?って思いませんか?お答えしましょう。普通の汗より、ワキ汗の方が量が多くなれば、秋です。その頃が夏の終わりです。将来の夢、大きな希望、忘れない。
すみません。ちゃんと書きます。
私ね、趣味でたまにカレーを作ってるんです。
超うまそうじゃね?いや、おいしいのよ♡
まあ一年前くらいから急にハマり出して、ダラダラと作ったり作らんかったりを続けてたんですが、1ヶ月前くらいに親父から『うちの職場で作ってくれ』と頼まれまして。聞いてみますと、親父は介護施設で働いているのですが、9月に行事があり、そのイベントの一環でカレーを20人分、作って出して欲しいと。そして私はそれを聞き、なーんも考えず『おー』と答えてしまったわけですよ。完全なる安請け合いです。アホです。アホの極みです。うんちんぐごなべいべーです。わちゃごなどぅーです。
そしてその際、介護施設で、お年寄り向けに作るわけなので、親父から出された条件がいくつかありまして、それがこれ。
①材料は細かくする。
②辛くしない。
③味を濃くしない。
今思えばさ、カレーじゃなくていいよね。笑
なんかこう、カレーってある程度辛くて、ご飯に合う程度の濃さは欲しいやん?でもそれ、NGなんやで?カレーじゃなくてええやん?ですが私はそれを聞き、なーんも考えず『おー』と答えてしまったわけですよ。完全なる安請け合いです。アホです。アホの極みです。うんちんぐごなべいべーです。わちゃごなどぅーです。
そんな、すべては私の安請け合いで始まったFCC(ふるまいカレーチャレンジ)これいま考えた。なんかカッコいいやん?SODみたいやん?そんだけ。
まあ請け負った以上、適当なことはできないわけでございますよ。その辺はホラ、俺、正義感とか強いタイプやん?悪いこととか嫌いやん?ポイ捨てとか許されへんタイプやん?みんなその辺、知ってるやん?
と、言うわけで、早速どんなカレーを作るか計画を練ったわけです。
①材料は細かくする。
これはまあ簡単ですよ。キーマカレーにしましたね。材料を全て細かくできるし、お肉はミンチなので、食べやすいですね。はい天才。
②辛くしない。
これもまあね、カレーを辛くするには、辛いスパイスを入れるわけでして。チリパウダーとかカイエンペッパーとかいろいろあるんですけど。それを絶妙なバランスで配合することにより、スパイシーな香りがありつつ、そこまで辛くないカレーを作ることができたわけです。はい天才。
③味を濃くしない。
これが地道に難しいですよねー。カレーな以上、やっぱりごはんと合う程度の味の濃さは欲しいですし。ただでさえ辛味が控えめなので、カレーの味はなるべくしっかりさせたい。薄味でも、ごはんに合うものを出したい。そう考えた私が思い付いたのが、お出汁なわけです。思い付いたって言っても、最近はお出汁を使ったカレーなんて沢山あるからパクリなんですけどもね。笑
まあでもそこで出汁をパクろうと思い付いた俺ですよね。はい天才。
と、言うわけで、作るカレーも出汁炊きキーマカレーに決定し、順調に試作も重ねて、あーだこーだ言いながら、考えながら、まとまってきていた中、親父からまた電話がかかって来たわけですよ。
親父『カレー、20人分から、25人分にならんか?』
あんたね、5人分ってわりと結構な量よ?お肉1人100グラムとしても、500グラムよ?びっくりドンキーのハンバーグよりでっかいんよ?親子バーグディッシュでも450グラムよ?
って今なら言えるんですが、なんかいけそうな気がしたアホな私。
俺『おー』
アホです。アホの極みです。うんちんぐごなべいべーです。わちゃごなどぅーです。
かくして、カレーは20人分から25人分にレベルアップしました。
まあまあ、それでもめげませんよ。私は。やってやろうじゃないですか。乗りかかった船ですよ。任せなさいよ。このタイタニックな私に任せなさいよ。分量も多少は計算しなおしたけど、まあ行けるっしょ。うん。いけるいける。
と、言うわけで、作るカレーも出汁炊きキーマカレーに決定し、順調に試作も重ねて、あーだこーだ言いながら、考えながら、まとまってきていた中
親父からまた電話がかかって来たわけですよ。1週間前に。
親父『カレー、25人分から、30人分にならんか?』
私もさすがにアホではありませんよ。当初から10人分も増えてるわけですよ?ミンチ、3キロですよ?出汁だって玉ねぎだってなかなか増えますよ?今回ばかりは言ってやりましたよ!
俺『おー』
アホです。アホの極みです。うんちんぐごなべいべーです。わちゃごなどぅーです。
だってなんかいける気がしたんやもん。
かくして、カレーは25人分から30人分にレベルアップしました。
でもさすがにこれを最終決定にし、これ以上は無理だと言いましたよ。やればできる子。はい天才。
そして最終的にこれでいくと決めたレシピがこちらです。
字、きったねえとかいらんから!俺による俺のためのレシピやから!やめて!泣くよ!
ただね、さすがにレシピ作ったところで結構な危機感を感じた私。とりあえずしっかり作戦を決めていこうと、綿密な計画を練ったわけです。それがこれ!
・3日前に玉ねぎ炒めて冷凍しとく。
・2日前にミンチの下味付けとく。
・1日前にカレー作って冷ましておく。
・当日、FCC。
完璧やないか…
その昔、誰かがこう言ったそうな。
『料理は段取り。女は横取り。』
・3日前に玉ねぎ炒めて冷凍しとく。
あの、みんなさ、家庭用のIHとフライパンでさ、玉ねぎ1.5キロ炒めたことある?てゆーかさ、玉ねぎ1.5キロ、みじん切りしたことある?いや、フードプロセッサー使ったんやけどね。個数で言ったら、ちっちゃめの玉ねぎしかなかったから12個ぐらいやったんやけど、まあ軽く地獄やで?笑
すっげえ目が痛いし、部屋中マジで玉ねぎくせえから!!ほんで炒めても、めちゃくちゃ水分出てきてなかなか炒まらんし、部屋中マジで玉ねぎくせえから!!カレーに入れるような飴色玉ねぎになるまでめちゃくちゃ時間かかるし、部屋中マジで玉ねぎくせえから!
この時点でもう後悔しかない。笑
・2日前にミンチの下味付けとく。
3キロのミンチってさ、どれぐらいの量があると思う?簡単に教えようか?生まれたての赤ちゃんぐらいだよ♡うちの子が3090グラムやったから、ほぼ一緒だね♡スーパーにわざわざミンチを予約して作ってもらって、受け取った時の衝撃、教えたかったな♡
1キロずつ下味つけました。
この時点でもう後悔しかない。笑
・1日前にカレー作って冷ましておく。
まずね、ミンチを炒めるだけでね、フライパンに一気には収まらんから、3回に分けて炒めましたよ。1キロのミンチを炒めるのって、なかなか時間がかかりますよね。しんどいですよね。この時点でもう後悔しかないですよね。笑
そしてやっと全部揃いました!
こいつらをね、組み立てていくわけですけれどもね、まあとりあえず、出来上がって冷ましている写真を見ていただきましょう。
鍋一個に収まってねえ!!!!笑
いや、途中からね、ヤバい気はしていたんですよ。この手前っ側の鍋はね、パスタとか湯がく用で結構な量が入るんですよ。6Lぐらいは入るかな?なんですが、余裕で無理でしたね。だから急遽、深めのフライパンがあるんで分けたんですが、分けちゃうとね、なーんか味とか水分量が違う気がしてくんの!!なんか不安なの!!あとね、なかなか煮込むのに時間がかかるし、底がすぐに焦げんの!!あとめちゃくちゃカレー跳ねんの!!熱いの!!でもここまでくると、テンション上がるよね!!楽しみになってくるよね!!
味も狙ってる感じで出せたし!!
なんとか上手いこと出来上がって、さっきの画像のように直ぐに冷却!!食中毒菌は、付けない!増やさない!やっつける!だよっ♡
冷却できたらタッパーに入れて冷蔵庫!!
この量、分かっていただけるでしょうか?
ここまで来た達成感。ビールの美味しさ。たまらんぜえ…深夜1時くらいまでかかったぜえ…次の日は住んでる大阪から、親父の職場の三重まで行くぜ…5時おきだぜ…地獄!!
・当日、FCC。
そしてやってきましたよ。当日。
ちゃんと5時に起きて、前日から大阪に来ていた親父の車に乗って、三重に出発!!
じゃがりこを貪る娘♡
ここで私、昨日の達成感から、カレーがみんなのお口に合うかという不安感に変わり、ビビり出す。笑
だってそんなに沢山の人に食べてもらうん初めてやしー。しかもお年寄りの人らにカレーなんか、お口に合うかどうかわからんしー。
てゆーか、味付けとかちゃんとできたんか分からんしー。とかとか。
なんて言ってても、施設には無情についてしまうわけで。笑
まあそうなったら振る舞うしかないよね。なるようにしかならんよねー。
ここでミス。必死でやったから写真がまったくないんです…もっと撮ればよかった…
そして…
結果は…
なんと…
カレー、無くなりました!!!!
パチパチパチパチ!!
やるじゃん!!
すごいね!!
ひゅーひゅーだねっ!!
いやあ、みんなたくさん食べてくれて、働いてる方にも食べてもらったんやけど、そちらからもめちゃくちゃ喜んでもらえて、ありがたかったなー。自分の作ったもので、人が笑顔になるってやっぱりいいね。あんだけ後悔しかなかったのに、今、もっかいやりたいもん。安請け合いはせんけどな!あと人数増えたりすんのも受け付けやんし、ちゃんと分量計算するけどな!!笑
なんかねー。料理っていいよね。こんなに手っ取り早く、簡単に人を笑顔にできるものなんかないと思う。私はね、料理って、どんだけ金をかけても、どんだけおいしいもんを作っても、主役にはなられへんと思っとるんよ。おいしかった料理を食べても、必ずその思い出にあるのは、『誰々と食べに行ったあれ』とか『どこどこで食べたあれ』とかになるし、食べた思い出よりも、その時に話した、笑った、泣いた思い出とかの方が強いと思うんよね。でも、その思い出の片隅に残っとる、なーんか忘れられへん味、名脇役のような料理が作れたら、すっごい幸せな事なんちゃうかなと思う。今回作ったカレーが、誰かの記憶の片隅に、いつまでも残ってたらいいなー。そして、10年後の8月、また出会えるのを信じて…
最高の…
思い出を…
青春ってそんなに爽やかなものかい?
やっほー。みんな、青春してるかい?
バリバリかい?
つーわけで、『青春』って言葉、あるやん?
この言葉ってさ、29才にもなって使うのって、なんかこう、むず痒くなるやん?こっぱずかしいやん?そんなことない?俺はない。笑
いやまあね、いくつになっても青春してたいなーなんてね、思っているわけですけれどもね。いまだに思うわけですよ。
『青春』とはなんぞや?
とりあえず調べてみましたよ。携帯でね。Googleさんでサクッとね。そしたらこれ。
【青春】
若い時代。人生の春にたとえられる時期。希望をもち、理想にあこがれ、異性を求めはじめる時期。
そんなんじゃねーし!!!!
希望を持ち?理想に憧れ?ふざけんなよこのスットコドッコイ!!俺の学生時代なんかな、自分のぶっさいくさに絶望し、女の子と一緒に遊んだり、付き合ったり、きゃっきゃうふふする理想は砕かれ、むっさい男どもと昨日は何回シコっただの、どのAV女優が抜けるだの、どのアイドルと付き合いたいかだの、あっ、異性を求め始めるってのは、合ってるね♡やかましわ!!!!
つーわけで本題に入りますけれども。笑
最近ね、自分なりの『青春』がなんとなく分かりまして。聞いてもらいたいなと。読んでもらいたいなと思いまして。たらたらと書こうかなと。タラタラしてんじゃねえよってお菓子、あったよねと。まあ俺はよっちゃんイカ派やったなと。知らんがなと。すいません。
『青春』とは、『会いたい』ということじゃないでしょうかね。
気になるあの子に、気の合うアイツに。
それだけじゃない。最近、気になってるあの本や映画に、大好きなバンドの新しいCDに、ずっと気になってるあの店に、憧れているあの人に。
『会いたい』と思うこと、『会う』ということなんじゃないでしょうか。
高校生の頃、大好きなバンドのCDを買って、自宅までチャリを立ち漕ぎで帰って。あの剥がしにくいフィルムを爪でカリカリして剥がして、コンポに入れたあの感覚。
好きな子とメールをしてて、夜12時近くなってきて、どうしよう?もっとメールしたいけど、ここは寝落ちした体にした方が、明日もメールできる口述になるよな…明日もメールで会えるよなっていうあの感覚。
ああいう感覚ってのは今でもやっぱりあるわけで。たとえばずっと気になっていたお店に行く時だとか、すっごい人気になっている映画を観に行く時だとか、あの時のドキドキワクワクの中にある、ちょっとの不安とか、溢れるわき汗とか、あれこそが『青春』なんじゃないかなとね、思うんです。
てゆーかむしろ高校生より、今の方が行動範囲が広がってるからな!なんだってできるんやからな!今の方が無敵じゃ!かかってこいや!
みんなもさ、あるやろ!あの時、出来へんかったこと!行きたかったとこ!あの時、会いたかった人、好きやった人より、俺は今、会いたい人、好きな人の方が多いからな!みんなに会いたいぜ俺は!遊ぼや!
ええか、これからや。
本当に。
大人になってからの方が最強やから。
まじで。
会おう。
人に、モノに、コトに。
いつからだって始められるよ。
いつまでだって青春やよ。
だからさ
もう一回、はじめようぜ?
昔の話
私は小さな田舎町で生まれ育った。物心ついたころにはもう両親が離婚しており、父親、4つ上の姉、祖父母の5人家族だった。父親は仕事柄、家に帰ってこられない日が多く、ほぼほぼ祖父母に育てられた。『母親がいなくて可哀想』とか、周囲に言われることもあったし、まわりをみて寂しく感じることもあったが、気付いた時にはもういなかったし、家にはとにかく甘やかしてくれる優しい爺ちゃん、わりとガミガミ言ってくる婆ちゃん、恐怖の対象でしかない姉ちゃん、休みの日はどっかに連れてってくれる親父。別にこれで十分だった。十分幸せだった。
中でも私はとくに爺ちゃんが大好きで、一緒に散歩したり、畑にいったり、家で遊んだり、どこに行くにもべったりだった。身体が大きく、力が強くて優しい爺ちゃんは本当に憧れだった。
爺ちゃんはよく私に『2人は仲良しやから』と言ってくれた。親父や婆ちゃんに怒られた時、姉ちゃんに泣かされた時、嫌なこと、悲しいことがあった時、何かしなくちゃいけない時、いつも爺ちゃんは私に『2人は仲良しやから』と言ってくれた。まったくなんの根拠もなく、なんの理由にもなってない言葉なんやけど、この言葉を爺ちゃんに言われたら、なんだかなんでもできる気になるし、元気になれる言葉だった。
私と爺ちゃんには日課があった。毎晩、7時~8時になると、爺ちゃんが『クリーム買いに行こや』と言ってくれる。〈クリーム〉
とは〈アイスクリーム〉の事で、普通は略した場合、〈アイス〉と言うが、爺ちゃんはなぜか、〈クリーム〉派だった。そしてこの〈クリーム〉派は今のところ、爺ちゃんしか知らない。笑
この言葉をきっかけに私は爺ちゃんといつも近くの商店にアイスを買いに行く。種類は、私はいつもバラバラで、新作だったり、バニラだったり、チョコだったり。爺ちゃんはいつも、カップに入ったかき氷タイプのものが好きでよく食べていた。個数は、2人だけだったり、みんなの分だったり、その日に食べる人で違った。でも2人は必ず、この時間には一緒にクリームを買いに行っていた。私はこの時間がたまらなく大好きで、ときどき、時間が来る前にこちらから誘っては、爺ちゃんと一緒にクリームを買いに行っていた。
爺ちゃんの話ばっかりだが、婆ちゃんも嫌いではなかった。毎日作ってくれる料理は美味しかったし、中でも本っ当にあっま~い玉子焼きが大好きで、お弁当がある日には絶対に入れてもらっていたし、保育所に行っていた頃は、婆ちゃんが連絡帳を書いてくれていたのでいつも送り迎えしてくれていたし、小学校に上がってからも、いつも起こして、用意をしてくれるのは婆ちゃんだった。でも、爺ちゃんと違ってガミガミうるさいところがあるし、すぐに怒るから、嫌いというか、少し苦手だった。だからより一層、爺ちゃん子になっていった。
毎日、小学校に行って、帰って来たら友達と遊んだり、爺ちゃんと遊んだり、姉ちゃんに泣かされたりパシらされたり、婆ちゃんのご飯食べたり、ガミガミ言われたり、姉ちゃんに泣かされたりパシらされたり、姉ちゃんに泣かされたりパシらされたり、親父が早く帰ってきた日は、親父のよく行く飲み屋に連れて行ってもらったり。親父が休みの日は姉ちゃんと3人で出掛けたり、家族みんなで出掛けたり。ずっとずっと、そうやって大きくなっていくと思ってたし、これが普通やと思っていた。
小学校三年生の終わり頃だったと思う。
爺ちゃんと婆ちゃんが立て続けに病気になった。婆ちゃんはもともと太っていて、糖尿と心臓がちょっと悪かったのが悪化したのと、そして認知症か、アルツハイマーのどっちか。爺ちゃんは、パーキンソン病。
当時、介護認定や障がい者手帳のようなサービスもまだまだ浸透しておらず、田舎なので、施設に入れるなどもってのほかで、家族が家で面倒をみるのが当たり前だった。
小学校四年生になった。
そこから、少しずつ、少しずつ、今まであった家族の〈普通〉は無くなっていった。
婆ちゃんの料理が美味しくなくなった。最初は少し味が濃かったり薄かったりする程度だったが、次第に砂糖と塩を間違えたり、味がまったくなかったり、食べられないほど濃かったり。ご飯の水加減が分からず、お粥みたいな日だったり、芯が残っていたり。
爺ちゃんの動きがぎこちなくなった。最初はまったく変化がなかったが、次第に手足がよく震えるようになったり、小さな段差や、何もないところでつまづく様になったり、着替えるのに時間がかかるようになったり。
そしてこの四年生の頃、母親の存在を知った。親父と姉ちゃんと3人で出掛ける時にたまに一緒に会っていた、親父が友達だと言っていた、おばさんがそうだった。母親だと知る前は、(あの人が母親だったらいいのに)と思っていた人が、本当に母親だと知って、なんだかよく分からない気持ちになった。なぜこの時に知ったかというと、姉ちゃんが母親と一緒に住むことになったからだ。姉ちゃんは小1の頃に母親と離れ離れになっており、母親の記憶もあったし、いろいろ考えることがあったのだろう。私はそっちの驚きもあり、ますます何だかよく分からない気持ちになった。
仕事で帰ってこられない日が多い親父と、母親と一緒に住むことになった姉ちゃん。必然的に、爺ちゃんと婆ちゃんの基本的な面倒は私が見ることになった。
とは言っても、昼間は学校があったので、やる世話といえば薬の管理と、家事の手伝い程度だった。朝の薬を2人に渡して、昼の薬をまだ頭がしっかりしていた爺ちゃんに2人分渡して、帰ってきたら風呂掃除等、できる範囲の家事を手伝い、夜の薬を渡す。これだけ。これだけといっても、小学校四年生が薬の管理をしたり、帰ってきてからもあまり遊べず、家の手伝い。かなりしんどかった。でもその事を、1人で働いてくれている親父には言えなかった。私も少しずつ、疲れていった。
私は小学校で、いじめをするようになった。
きっかけは本当にちょっとしたこと。ある日、家で宿題ができないまま学校に行き、たまたまとなりの席の友達に『宿題やって』と言ったら、本当にやってくれた。確かそんなことだったと思う。そんな日が何日かに一回あったのがだんだん頻度が増して行き、たまに嫌がられても無理矢理言ったらしてくれたり。そんなことがエスカレートしていき、無理にさせたり、言うことを聞いてくれなかったら暴力を振るったり。自分ではまったくいじめている感覚がなく、そんな事が続いていたある日、とうとうその子の親にバレて、ボッコボコに殴られ、親父に言われ、ボッコボコに殴られ、親父と2人で家まで謝りに行った。自分を正当化するわけじゃないが、いじめをしている側は、本当にいじめている感覚がない。頭がちょっと麻痺してしまっている。まわりがはっきりしっかり伝えて、気づかせるべきだと思う。
小学校五年生になった。
婆ちゃんは、2、3分ごとに、同じことを何回も言う様になった。料理がまったくできなくなった。米を洗ってザルにあげ、自分の横に置き、また新しい米を出して洗っていた。季節感が分からなくなった。少し暑いとお盆の準備をし始め、少し寒いと年末年始の用意をしだした。食べ物の傷み具合が分からず、ひどい匂いの漬け物を食べていた。認知症やアルツハイマーが身近にいる人は分かると思うが、身内に対してはこんな感じでも、なぜか外に出ると普通に見られる。婆ちゃんがどれだけ酷い状態かを理解してくれている人は少なかった。
爺ちゃんは、畑に行けなくなった。歩く時も、赤ちゃんのよちよち歩きのようにしか歩けなくなった。手が常に震えて、まったく力が入らなくなった。お箸やスプーンを上手に使えなくなった。身体の自由がきかず、ズボンを最後まで上げられなくなり、家の外を半ケツ状態で歩くようになった。トイレに間に合わず、漏らす事があるようになった。
私は、学校でいじめられた。
これは自業自得だし、今でも仕方ないし、当たり前だと思っている。でも、内容は自分の事ではなかった。爺ちゃんの事。おしりを出したまま外を歩いていた事。自分に母親がいないという事。親父の事。自分以外の事をたくさん言われた。これは辛かった。
学校では家族の事でいじめられて、家に帰れば、トイレに間に合わず、漏らした爺ちゃんがいる横で、婆ちゃんが同じ事を何回も言っている。薬を渡しても、婆ちゃんは飲んだことを忘れ、薬をくれないと言い、言い合いになると家を出て、近所に私が薬を飲まさないと言う。親父には自分がいじめていた時の事もあり、迷惑を掛けたくないので何も言えなかった。地獄だった。どうしていいか分からなかった。
私は
私は…
2人に暴力を振るうようになった。
2人に暴言を吐くようになった。
とにかく2人が憎かった。
嫌いだった。
早く死んで欲しかった。
いなくなって欲しかった。
全部を2人のせいにした。
婆ちゃんはそのたびに家を飛び出して、私に殺されると言っていた。そのたびに近所の人が来て私を叱ったり、殴られたりした。
爺ちゃんはなにもせずに、ずっと耐えていた。それどころか、仕事から帰ってきた親父が近所の人に知らされ、私が親父に怒られている時も『2人は仲良しやから』と、ずっと私をかばっていた。でも、あんなに元気を貰っていたこの言葉なのに、爺ちゃんなんかと一緒にされるのが嫌で嫌でたまらなかった。
爺ちゃんはどんなに私が暴力を振るった日も、暴言を吐いた日も、毎日、いつもの時間になると
『クリーム買いに行こや』
と、誘ってくれた。もうアイスをスプーンですくう力も無いのに。
それなのに私は、よちよち歩きの、ズボンもまともに履けていない爺ちゃんと歩くのが嫌で、行かなかったり、暴言で返したり、お金だけ貰って1人で買いに行ったり、一緒に行っても、帰ってきて、うまく食べられない爺ちゃんにイライラして、また暴言を吐いたり、アイスを投げたり…本当に信じられないような事をしていた。それなのに、爺ちゃんは、毎日毎日、いつもの時間になると
『クリーム買いに行こや』
と、言ってくれた。
ある日、爺ちゃんがどこで知ったのか、私に
『俺のせいで学校でなんか言われとるんか?』
と、聞いてきた事があった。
私はいろんなものが込み上げてきて、暴力や暴言も、何も出来ず、ただ泣きながら
『違う。何もない。』
としか言えなかった。
爺ちゃんは察したようで
『ごめんな。ごめんな。』
と、ずっと謝っていた。
私に暴力を振るわれた時でも見せないような、すごく悲しい顔をしていた。
あの顔はずっと忘れられない。
小学校六年生になった。
とうとう2人の面倒を家じゃ見きれないと判断した親父は、2人を施設に預けた。
私は、いじめにも飽きられ、仲間はずれにされるようになった。
学校にいても〈いないもの〉とされた。
じゃあ行く意味ないや。
家におっても、もう世話する必要もないし。
私はそうおもうようになり、一時期、あまり学校に行かなくなった。
このへんの事は、なぜか少ししか覚えていない。だから私は、六年生の頃をあまり覚えていない。
中学生になった。
いろんな小学校から集まる中学校だった。
私は幸運なことに気の合う人と知り合う事ができ、無事に友達ができて、生活を楽しくやり直す事ができた。なんとか元通りになった。
そして、2月だった。
爺ちゃんが亡くなった。
施設に入ってからの爺ちゃんは、病気の進行がとても早くなり、あっという間に寝たきりになり、いろんな管で繋がれるようになり、流動食になり、薬漬けになった。
私は時々、親父に連れて行かれお見舞いをしていたが、自分がしていたことの罪悪感もあり、既に寝たきりの爺ちゃんをまともに見れず、会話も出来ず、毎回帰っていた。それでも爺ちゃんは、いつも会うたびにとても嬉しそうにしていた。
そして、たまたまお見舞いに行った日に、爺ちゃんの容態は急変し、目の前で亡くなった。あんなに身体が大きくてちからが強かった爺ちゃんなのに、最後はヒョロヒョロで、火葬後は、骨さえもぼろぼろになっていた。
私は後悔した。私があんなことをしなければ、爺ちゃんはもっと長生きできたかもしれないのに。
でも、その後悔のまま、なにも動けず、婆ちゃんも私が高2の頃に亡くなった。
婆ちゃんは施設に入ってから、私が中学生になる頃には、私が誰だか分からない状態になっていた。親父がどんなに説明しても、1分もすれば忘れてしまっていた。
それでも、見舞いに行く度に、あの子は元気かとか、ちゃんと食べてるのかとか、ずっと私の心配ばかりしていた。私は、あんなに爺ちゃんの時に後悔したのに、また婆ちゃんに何も返せないまま、亡くなってしまった。
婆ちゃんが亡くなった後、遺品整理をしていたら、私が保育所の頃の連絡帳が出てきた。
婆ちゃんは、私の家での様子を、事細かに、欄いっぱいに書いてくれていた。それも毎日。何を食べたとか、何を言ったとか、何で泣いたとか。
そして、それと一緒に、婆ちゃんと2人で撮った写真が大事に保存してあった。
あんなに小さい頃、いつもガミガミうるさかった婆ちゃん。ちょっと苦手やった婆ちゃん。甘やかす親父や爺ちゃんのかわりに、私をしっかり躾けててくれたんやなあ。母親がいない私の為に、必死に母親がわりになっててくれたんやなあ。私が良いことをした時に、誰よりも顔をくしゃくしゃにして喜んでくれたのは婆ちゃんやった。
私は、あの2人は、いまでも自分が殺したと思ってる。私が2人にあんな酷い事をしなければ、もっと生きられたと思ってる。
あんなにたくさん、自分に愛を注いでくれたのに、私はなにも返さず、それどころか2人に酷いことばかりをした。
私は2人に、何度、死ねと言ったんだろう。
何度、暴力を振るったんだろう。
何度、物を投げつけたんだろう。
私がもっとちゃんとしてれば
何度、好きって言えたんだろう。
何度、ありがとうって伝えられたんだろう。
『2人は仲良しやから』
爺ちゃんが何度も私を元気付けてくれた言葉が、自分の過ちのせいで、思い出す度に、何度も何度も自分を苦しめる。
ネガティブを極める
18、19才ぐらいまで私はいわゆる『人見知り』で『ネガティブ』でした。人と話すことが苦手で、何を話していいか分からなくて、そんな自分が嫌で、自分が嫌いで、後ろ向きなことばかり考えて。
そのくせ、人に嫌われることも嫌で、『俺は人見知りやから』『ネガティブやから』と自分から言ったり、時には、『人に好かれようとして嫌われるなら、嫌われること言って嫌われる方がマシ』というわけのわからぬ、思考回路はショート寸前、いますぐ会いたいよな感じになっていました。もはや末期寸前です。
そんなある日、私はとうとう、20歳になってしまいました。しかも童貞で。これはもう最悪です。余裕で末期です。もうダメだ。俺はどうせ誰からも理解されずに、受け入れてもらえずに、一生童貞で死んでいくんや。だっせえ。だっせえなあ。いっそのこと死んじまうか?いやそれはこわい。んじゃあれだ。包丁でも持って街に繰り出して、幸せそうなやつらを切り裂いてやろうか?いやそんな度胸はない。だってどうせ俺なんて…
自己嫌悪は加速します。どこまでもどこまでも加速します。地元の三重から、高校卒業と同時に大阪にひとり引越してきて、まわりに友達もおらず、バイト先の人とは軽く話す程度で、地元の友達に意地を張り連絡もとらずにいた私は、本当にまっくろーい闇にズブズブと落ちていきました。きっと私は、極めました。自己嫌悪を。ネガティブを。人見知りを。その結果、ある日、極め尽くした私に、私自身から、とんでもない答えが自分に降りてきました。
『あれ?これ、俺、自分大好きちゃんじゃね?かまってちゃんじゃね?』
私、自分自身の思考にすらネガティブになりました!!!!笑
そもそもがさ、『人見知りだから』『ネガティブだから』この『だから』ってなに!?自分に話しかけて下さいってか?興味持って下さいってか?慰めて下さいってか?ふざけんな!!このゴミ屑が!!なんで私周りの人がいちいち!お前なんかに!わざわざ!興味を持たなあかんねん!!待ってれば、いつか誰かが、自分に興味を持ってもらえるとでも?ないから!道端に落ちてるゴミにお前はいちいち興味を持つか?もたんやろ?だってゴミやもん。こっちから必死こいて話しかけていけよ!興味を持って貰おうとせえ!!
あとバイト先の人が誘ってくれる飲み会でも『俺なんか…』みたいな話ばっかしてよ!『いや、そんなことないよ』って言ってもらいたいのか?お前は?ゴミ屑のぶんざいで?そんで言ってもらっても『でもどうせ…』みたいに言うんやろ?
それ、おもんないんじゃ!!!!
シンプルに!!!!
特にオチもないし!!!!
笑いにもならんし!!!!
お前みたいなゴミ屑を!!!!
わざわざ誘ってくれてるんやから!!!!
盛り上げろよ!!!!
場を!!!!
楽しませろよ!!!!
皆様を!!!!
お前はいつも『どうすれば場が盛り上がるか』『どうすれば相手が笑うか』より『どうすれば自分が嫌われないか』『どうすれば自分が傷付かないか』ばっかりやないか!
そんなん典型的な自分大好きっ子ちゃんやんけ!!お前みたいなゴミ屑なんかに、みんなわざわざ、時間と、労力を使って、絡んでくれてるんやから
何回も言うけど
盛り上げろ!!!!
楽しませろ!!!!
ほんでな、ほんでや、君な。
『童貞』『モテへん』とか言うけどもやな。
日本語パンクが好きやからって
ガガガSPが好きやからって
ボーカルのコザック前田みたいに
ハンチング被って、冬でも雪駄履いて
銀杏BOYZが好きやからって
ボーカルの峯田がすきやからって
モッズコート着て、ジャージ履いて
こんなわけわからんバンドTばっか着て
誰がモテんねん!!!!
自己主張のかたまりやないか!!!!
『あ!ガガガSP好きなんですか?』
『銀杏BOYZ好きなんですか?』
『私も好きなんです!良かったらご飯とかどうですか?メルアド教えて!』
とか期待してんのか?
女の子から話しかけてくれると思ってんのか?その顔面で?
そんなんなるか!!!!!!!!
ヴォケー!!!!!!!!
いいか?一切期待するな!無理やから!
今まで無理やったやろ?今後も無理やから!
マジで絶対ないから!だってお前、ブサイクやから!!中学生のとき『人間の顔じゃない』って言われたやろ?いい加減受け入れろ!ブサイクで人見知りな人間、誰に需要があるよ?最悪やで?最悪やで?最悪やで?
すべての期待を捨てろ。
人生に1ミリも期待するな。
自分から動け。
自分を守るな。
自分なんかに
時間と
労力と
金を使い
絡んでくれる人を
楽しませろ
喜ばせろ
こうして、ネガティブを極め尽くした結果
30才の今現在、何とか結婚もし、娘もできました。私。笑
おい
世の中の
『人見知り』
『ネガティブ』達よ。
どうせなら極めろ。
そのまんま行きなさい。
その先があるから。
みんなで一緒に行こうぜ。
その向こうへ。
夏休みの宿題は諦めるタイプ
夏休み、始めます。
いやー。ぜんっぜんブログ書いてないね。笑
前回書いたのが7月頭!!あかんね!!いっぱい書くって決めたのにね!!けしからんね!!ぷんぷんっ!!!!
と、言うわけで、ただ今、夜行バスに乗っております。これから姉の四十九日に向かうわけです。最近の夜行バスが快適すぎて、それなりに覚悟してきた私にとっては『あれ?天国じゃね?天国行きのパスポートじゃね?』って思っております。いや、死にたくないわ!!
もうね、今回は決めてるんです。四十九日に行くけど、姉ちゃんには悪いけどこんなもん『ついで』やわと、思うことにしたの。
理由は特にない。ないけども、今回は義兄に会うため、甥と姪に会うため、いっぱい写真を撮るため、いっぱい美味しいものを食べるため。そう決めちゃったのあたくし。あははは。姉ちゃんめ、ざまあみろ!!あんたができんくなったこと、たらふくやってやるよー!!ええやろ?ええやろ?うへっ♡
てな感じで。笑
でもなんか、これでいい気がするんよね。
なんでもかんでも背負い過ぎて、抱え込み過ぎた姉やったから、まーた神妙な感じで四十九日に行ってもねえ?余計に姉を申し訳なく思わせてしまうかなと、思ってるのよあたくし。あらやだ。姉思いのいい弟だなあ。
だから、『うーわあいつ!わざわざ横浜まできて、嫁と娘がおらんのをええことに楽しみやがって!しかもめちゃくちゃうまそうなん食うやん!許さん!トイレが近くにないタイミングで下痢にしたる!えいっ!!』
ってされてしまうようなね。旅にしたいなと思ったりなんかね。ごめん姉ちゃんそれはマジでやめて。
生きているから、いろいろやれる。
生きてるうちに、いろいろやらな。
食べたい物が、明日にはないかもしれん。
会いたい人が、明日にはいないかもしれん。
姉のおかげで最近の自分は、前よりも行動派になれた気がする。
振り返ればCatsがいる
みんな!7月だよ!また懲りずにバカみたいに暑いなつがやってくるよー!!!!やんなっちゃうね。ひゅーひゅーだね。
なんかもう6月はいろいろあって、いろいろあり過ぎて、あっという間に過ぎていったなあ。主に良くないことばかりですがねー。
と、いうわけで今回は6月を振り返ろうじゃないかベイビー。ベイビー、逃げるんだ。特に意味はない。
はい、6月こんなんありました一覧!!
ドン!!!!
・俺、胃腸炎になる!
・嫁、バイト始める!
・娘、一時保育デビュー!
・姉、死ぬ!
・娘、一時保育の洗礼で体調を崩しまくる!
・娘、熱性けいれん!
・嫁、バイト入ったばかりやのにいろいろ重なってほとんど入れず、その度に店長に冷たい対応をされ、腹が立って辞める決意をする!
・一時保育、姉のいろいろ、各種料金支払いの全てがまるで惑星直列のように重なり、かつてないほどの資金トラブルにおちいる!
6月、地獄やないか!!!!笑
てゆーか『嫁』『姉』『娘』が続くとすっげえ読みづらいね!これも地獄ね!
どうする?振り返る?一個一個いちいち振り返っちゃう?やるよ?やっちゃうよ?覚悟してね?びーけあふぉーだからね?
・俺、胃腸炎になる!
なんかね、なんかに当たったかね、体調がイマイチやった娘にもらったかでね、生まれて初めての胃腸炎になったのよ。あたし、胃腸強いのよ。食品の多少の痛みは気にならんし
、ちょっと生でもイケるのよ。だからまさか自分が胃腸炎になるなんてねー。
マーライオンですよ。マーライオン。上下でマーライオンがくっついてるのよ。
すっげえキタナい話をするとね。お腹痛いじゃん?トイレいくじゃん?出すじゃん?臭うじゃん?気分悪くなるじゃん?吐くじゃん?お腹に力入るじゃん?出るじゃん?臭うじゃん?吐くじゃん?とうばんじゃん?
のエンドレス!マジでエンドレスでエンドルフィン出まくりのエンドレスジェラシーをエンドレスリピートな感じよ。控えめにいって、チョベリバ。
・嫁、バイト始める!
・娘、一時保育デビュー!
嫁が6月よりバイトを始めることになり、それに伴い、娘が一時保育デビュー。
我が家は絶賛待機児童マジチョベリバ状態なんやけど、嫁もずっとこどもと2人きりより、良い意味でちょっとこどもと離れる時間を作りたいと。娘もいろんなこどもと触れ合うきっかけにもなるし、金銭的にもまあ助かるしなーと、言うことで始まりましたよ。
5月末ごろに、2回ぐらい慣らしで一時保育を利用したんやけど、まーこどもを置いていって、泣いている娘に後ろ髪引かれながら去っていく辛さよ!あれは辛い!豆板醤ぐらい辛い!そしてこの時は、まさかのちにあんな自体が待ち受けていようとは…
・姉、死ぬ!
まあ、このブログを始めるきっかけになった出来事ですよねー。
なんかね、葬儀もして、骨になったのも見て、しっかりすべて見届けたんやけど、いまだに信じられへん自分がおって。でも現実は現実でしっかりその事実があるのも分かってて、ふとした時にそれがぶわっときて。落ち込んでるわけじゃないんやけどね。まあまだ思い出にはならんよねー。
姉は多分、自分のことばっかり考え過ぎてしまったんやろなーと。病気の自分、人に迷惑をかけている自分、子育てにうまくいかない自分…これは誰でもそうやと思うんやけど、部屋で1人で、自分のことばっかり考えてると、よっぽどポジティブな人じゃない限りはネガティブな思考に行くと思うんよなー。
ましてや心の病気を抱えた姉なんて、それが何倍ものスピードでネガティブに転がっていってしまったんかなあ。
ツイッターとかでも、鬱の人は遊べとか、休めとか、筋トレしろとかよく言われてるけど、難しいよね。いろんな人がおるし。
だから、これも難しいんかもしれんけど、そういう時こそ、音楽聴いたり、映画観たり、本読んだりして、なんでもいいから、なるべく自分を『なくす』というか、とにかく自分以外の事を考える様にしたほうがいいんかなーって思う。
・娘、一時保育の洗礼で体調を崩しまくる!
・娘、熱性けいれん!
いや、これまた参ったね。笑
やっぱり保育所って、いろんなこどもが集まるから、どうしても身体が慣れるまで体調を崩しやすいらしいねー。その上、娘は一時保育やったから、身体も慣れにくいし、親と離れるのも慣れへんし、姉の事で嫁の実家に預けて環境ころころ変えたりしてたから、ちょいちょい風邪ひいたりしとった。
娘は過去に熱性けいれんを起こした事があったんやけど、それは『突発』っていう、子どもは一回、絶対かかる高熱の時で、その影響かなあって思ってたんやけどね、今回また、起こっちゃいましたよ。熱性けいれん。
体温の急な上昇に脳がびっくりして、ショートしちゃうみたいな現象らしくて、病気でもないし、何か後遺症があるわけでもないらしんやけど。
でもやっぱり、目の前で自分の娘がけいれんしてんのは本当に見てて辛い。あと、何%かの割合で熱からじゃない可能性もあるらしいから、救急車を呼んだ方がいいらしくて。
親の都合でさんざん振り回してしまって、けいれんまで引き起こさせてしまって。本当に娘には悪いことした月やったなあ。まだ今も風邪気味やけど、元気になったらいっぱい遊ぼうね。
・嫁、バイト入ったばかりやのにいろいろ重なってシフトほとんど入れず、その度に店長に冷たい対応をされ、腹が立って辞める決意をする!
まあね、バイト始めたてでこんだけ重なったこちらも悪いですよ。悪くないけど。あちらも慈善事業じゃないですからね。シフトに穴を空けすぎてもいけないよね。でもさ、あまりにも対応が冷たいのよ。姉が亡くなったり、娘が熱出してバタバタの時に、『シフトの代わりは自分で見つけろ』だと?
それは店側の仕事じゃない?しかもこちとら急用ですよ?はいチョベリバ。辞めマッスルむきむきマッチョマン。
・一時保育、姉のいろいろ、各種料金支払いの全てがまるで惑星直列のように重なり、かつてないほどの資金トラブルにおちいる!
みんな!!よーく覚えておいてね!!
世の中はお金だけじゃない!!でも大体のことは金がかかるし、持っておいて困ることはない!!!!ないとめっちゃ困る!!!!
マジで金がないとめっちゃ困る!!!!
マジで金がないとめっちゃ困る!!!!
マジで金がないとめっちゃ困る!!!!
あと108回ぐらい言いたいけど、3回にしておこう。
まあ今年の6月は、人生で1番濃ゆい6月でしたよ。マジ6月とか梅雨やしー祝日ないしー最悪ーなんていつもの6月なんてむしろハッピーやで。チョベリグやで。
さあ、7月はどうなるのか。果たして何が起こるか。まあ、たいがいの事は楽しんでやろうじゃないか。6月を乗り越えた俺にもはや怖いものなどない。ボーナス出たし。小遣い増えんけど。
そう…小遣い…増えんけど…
チョベリバやん。