kijifuのブログ

なんやかんやのアレ

手紙の返事


世の中は6月から学校や会社が再開されている。でも中には、それがもう本当に嫌な人たちがいる。たとえば学校や職場でいじめられていたり、居場所がなかったり。そんな人たちにとっては、不謹慎な言い方だとコロナがヒーローなわけで。結構本気で「このまま蔓延してあいつもあいつもいなくなればいい。学校も会社も潰れたらいい。」なんて思ってる人もきっといる。「だったら行かなきゃいい」「だったら辞めればいい」なんて考えはもっともですごく正しいんだけど、もうなかなかそんな風に考えられないし、ひとりで自分の部屋で考えることなんてロクでもないことばっかりで、結局はどこにいてもひとりぼっちなんだよね。



今年の6月、姉の三回忌がある。死んでから2年で三回忌なんて初めて知ったよ。今年はコロナじゃなんじゃでちょっと行けそうにないから、ありったけのビールを送るよ。



こないだ部屋を片付けていたら、姉からの手紙が出てきた。僕が結婚した時にもらった、最初で最後の姉からの手紙。普段は会う度にからかわれ、いじられていた姉からの手紙は、僕にびっくりするぐらい謝ってばかりの内容で。もらった時も読んだけど、今読み返したら全然違うなあって思った。あーあ、もっとあんたと話したかったよ。



姉が6歳で俺が2歳の頃、両親が離婚した。その時に姉は親父に「お前があいつ(僕)の母親になってやれ」って言われたらしい。姉からすれば「じゃあ私の母親は?」としか思えず、その一言はずっと姉を苦しめていた。僕もきっと姉も、別に母親なんかいらなかった。みんなで手を繋いで「さみしいね」って言えたらそれでよかった。


母親のことなんかまるっきり覚えていない僕と違い、中途半端に母親の記憶が残っている姉は、離婚した両親のどちらかを恨むことも出来なかった。親父からは僕の母親代わりになれと言われ、祖父母からはあんたがお姉ちゃんなんだからしっかりしろとずっと言われ続けて。なんだかんだあって母親と住むようになってからは、記憶の中での母親と現実との違いに苦しみながら、母親が求める娘になろうとしてさ。甘え方すら教えられなかった状況で、誰も恨めず、誰も愛せず、ただただずっとずっと自分を責めてたんだろうね。


それって、親が子どもに『甘える』ということを教えてこなかった結果なんだと思う。甘えること知らずに育って、自分を甘やかすことも、誰かに甘えることもできなくて、全部ぜーんぶ自分に溜まっていく。


そしてある日すべてをやめたくなって、向こう側にある光を求めて行ってしまう。残された人は、今さらどうしようもないのに、ありもしないたらればをずっと考える。



こころの病気って、生い立ちだったりいじめだったりとか、言ってしまえばほとんどがまわりのせいなのに、それをさらにまわりからヒソヒソ言われて、自分は悪くないのに、それでもひたすら自分で自分を追い込んでしまう。違うのに。あなたは悪くないのに。


ある日病院で病名を告げられて、ケガや風邪みたいに簡単には治らないからうまく付き合っていくしかなくて。ただでさえなんだかよく分からないのに、さらにまわりから『弱さ』だの『甘え』だの言われて。ネットでいろいろ調べたってロクなことなんか書いてなくて、変われなくて、悔しくて、苦しくて。それの繰り返しばっかりだったらそりゃもう疲れちゃうよね。



僕はずーっと自殺って、基本的には止めるべきじゃないと思っていた。止めた所で、その後のその人の人生を幸せにできるわけでもないし、責任も負えないやつが口出しするものでもないと思っていた。でも姉がそうなって、自分に子どもができると考えも変わってくる。やっぱり自分の子どもは別だねー。どうしても、そんな最期はなるべく選んで欲しくないって思ってしまう。


子育ては、子どもを死なせないようにすることだと思う。そして、いくつになっても親は親だし、子は子。どうあったって自分の子どもには、いつまでも命をあかるく輝かせててほしい。生きる意味は分からないけど、生きる価値はきっとあると思いたい。それはいつか気の合う人と出会うことかもしれないし、どこかで500円拾うことかもしれない。そういうひとつひとつが幸せに繋がっていくって信じたい。子どもの生きていく道を、悲しみで閉ざさせてしまいたくない。


でもそれも言ってしまえば親のわがままだっていう部分もあるわけで。結局は子どもがすべて選んで決めていくこと。親のできることなんてたかが知れてるんだよなー。だからこわいけど、心配だけど、やれることさえやったらあとは見とくだけにしとくよ。せめて不安になったり、辛くなった時にこっちを見たり、戻ってこれるようにしておくよ。だから、そんな時だけでいいからね。そのままいけそうなら、別に振り向かなくてもいいし。ただずっといるから。たぶん。できるだけ。



なんだか何が書きたかったのかよく分からなくなってきましたけども。

本当はね、姉へ手紙の返事を書こうかなーなんて思ったんですよ。でもいつの間にか自分の子どもへの手紙みたいになってる。笑

まあよく分かんないからこれでいいや。きっとこれが正解なんだよ。うん。

姉ちゃん、あんたが可愛がってくれてた姪っ子は今日、予防注射を泣き叫び、暴れながらもちゃんと受けてたよー。頑張ったご褒美にっつって、プリキュアの変身ステッキと、寿司を買わされたよー。だからビールの本数、ちょっと減らすね

ササラモサラ。

いやー、どこもかしこも自粛だね。自粛自粛。やんなっちゃうねー。この自粛ムードの世の中の方が人は死ぬと思うのよ。健康ならば出かけなさい。好きな人と好きなお店に行きなさい。でも出かけるのがこわいのも否定はしないよ。見えないものはこわいからね。じゃあせめて正しい知識を持って、人を攻撃しないようにね。そして家にいるあいだにぜひアマプラやネトフリでこれを観なさい。


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どんっ!!「仁義なき戦い」全5シリーズ!!ほんとは前置きなんてどうでもいいの!これの話がしたかったの!


仁義なき戦い


この映画は菅原文太演じる広能昌三が、山守組長やそのまわりの人たちに振り回されててんやわんやするドタバタコメディ、ホームドラマです。ウソですヤクザ映画です。でもあながちウソでもないです。年明けから観だしてね。見事にハマりました。なんで今まで観なかったの?バカなの?カバチタレてたの?




この映画の何が良いってね、なんだかカッコつけるってのがちょっとダサいような、恥ずかしいような今の時代とはまるで正反対で、ギラギラした頭の悪い男たちがいつも、いかにカッコつけるかを考えているわけですよ。時には自分を親と慕う組長のために、盃を交わした兄弟のために、ミス広島を抱くために、己が男になるために。女性に弱音を吐いたり、ビビりすぎて小便をもらしたりしながらも必死にカッコつけようとするわけです。でもね、だからといって金持ちになったりモテたりするわけでもないの。すぐ死んじゃうの。しかも道端で。いきなり。あっさりと。本当にばかばかしいよねー。




じゃあそもそも男はなぜ、カッコをつけるのでしょう?それは千葉真一演じる大友勝利が劇中でこう語っているのです。


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「わしらうまいもん食ってよ、マブいスケ抱くために生まれて来とるんじゃないの。」



そうなんだよ!どんな時代になったって結局俺たちは、うまいもんを食って、マブいスケを抱くために生まれてきたんだよ!人間だって所詮は動物よ!食う、寝る、やる。しかないでしょう!でもそれだけじゃないんです!

大友親分、その後のセリフはこう続くんです。



「それも銭がなけりゃ何も出来やせんので。ほうじゃけん、銭に体張ろういうんが、どこが悪いの!? 


https://youtu.be/FE0otWyNbXo




たまらんぜ…



結局ね、やりたいこと(うまいもん食う、マブいスケを抱く)をやるためには、やらなければいけないこと(銭を稼ぐ)をやらなきゃいけないわけですよ。

でもよ、それでもよ、だせえ仕事して、納得いかないことで頭を下げて、果たしてそれで食うメシはうまいのか?果たしてそんな人間がマブいスケを抱くことはできるのか?

無理でしょう!じゃあせめてよ、せめていつ死んでもいいように、たとえ今日ハジキで撃たれようとドスで刺されようと、サツにチンコロされようと、銭に体張って、カッコつけて生きるべきでしょうよ!!

のう、おやじさん!!


いいですか。

今すぐに仁義なき戦いを観なさい。

そして男とは、カッコつけるとはなんなのかを知りなさい。 



「こんなもここらで男にならんと、もう舞台は回ってこんど!!」

娘とお風呂の話



娘とお風呂に入る。


娘はメルちゃんと一緒に入るのが好きで


よく頭とからだを洗ってあげている。


今回も


いつも通り洗ってあげて


シャワーで流そうとしたら


シャワーヘッドが


じぶんの方を向いていて


蛇口をひねったとたんに


お顔に水がどぅわー。


慌てた娘は


いそいで蛇口をもどす


そしてお顔を手でこすり


水をはらって


もう一度


蛇口をひねり


お顔に水が


どぅわー。


さて。


これはどうしたものか。


そうだ。


顔をよけて出そう。


娘はシャワーの横に立ち


蛇口をひねろうとする


しかし


さっきまで


メルちゃんを洗っていたため


娘の手は


せっけんで


ヌルヌルしている。


蛇口をひねろうとしても


なかなかできない


だんだんと力が入ってきた娘は


しだいにシャワーの正面に


やっとひねれた!


お顔に水が


どぅわー。


さて。


どうしたものか。


そうだ。


少しずつ出そう。


しかし


しかしだ


ご存知の通り


我が家のシャワーは


水圧が極端だ。


チョロチョロ


or


どぅわー。


どぅわー


or


チョロチョロ。


まずはチョロチョロと


弱く出すことに成功。


しかし


しかしだ。


さっきまで


メルちゃんを洗っていたため


娘の手は


せっけんで


ヌルヌルしている。


蛇口をひねろうとしても


なかなかできない


だんだんと力が入ってきた娘は


チョロチョロから


どぅわーの間の


わずかな


スイートスポットを


見事にスルーして


お顔に水が


どぅわー。


なにをやっても


どうやっても


お顔に水がかかってしまう。


どうしたものか。


ああ。


なんだ。


こうしたらいいんだ。



言わんばかりに


娘は


泡だらけの


メルちゃんを


湯船に


ぽちゃん。


湯船に


泡が


どぅわー。


……


まあええけど。


そして


娘と


2人で


湯船にゆっくり浸かり


お風呂から


出たあとは


夕方に


スーパーで


「あとで一緒に食べよう」



買った


パイナップルを


2人で一緒に


仲良く





食べずに気づけばぜーんぶひとりで食べてたんやけどどういうことなん!?なんでなん!?一緒に食べるっていう前提で買ったよね!?パパめっちゃパイナップルのくちやったんやけど!!もうええわ!残ってたパインアメ舐めるわ!!なんかちがう!うまいけどなんかちがう!!明日ぜったいパイナップル買って帰るからな!!ひとくちもあげへんからな!!

乾いて候

はいっ!と、言うわけで、こちらのイベントに行ってまいりました!

【梅田本店】田中泰延氏公開インタビュー『読みたいことを、書けばいい。』の本質と、本に書かなかったこと、しゃべります。 20191014日(月・祝)田中泰延氏公開インタビュー『読みたいことを、書けばいい。』の本質と、 本に書かなかったこと、しゃべります。(聞き手:担当www.kinokuniya.co.jp

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まさかの会場入りの前にオシッコに行ったらご本人ご一行に会い、ハクいスケの砂糖塩さんにお会いして、泰延さんに2ショットまで撮ってもらえるという奇跡。いやーもうびっくりした。尿意がここへ連れてきたってもんですよ。ありがとう尿意。サンキュー尿道。本当に。あれだけでもう1000円以上の価値があるよね。だってメイドカフェとかでチェキ撮ってもらったらいくらするよ?え?いくらなん?ちょっと行ったことないから誰か教えて?あ、あとね砂糖塩さんすっごいいい匂いした公開インタビューの内容よりも、あの匂いを、ずっとずーっと覚えていたいゅ(きゃっ。使っちゃった♡)



そして始まった公開インタビュー。

こちらの内容はね、もうハクいスケの砂糖塩さんがきっとそれはそれはバリバリ変態ぶちかましてズバッと書いてくださるのでそちらにおまかせしましょう。でもさっきツイッター見たら、全裸監督の続きを観ようとクリックしたら盛大に喘ぎ声がPCから漏れてカオスだったらしいけど大丈夫かなエレクトリカルパレードしてるみたいだけど大丈夫かなきっと大丈夫でしょう。一応、前回のイベントの時の記事を貼っておきます。かーなーりー長いので、ウンチしながら読まないように!!痔になるからね!!

https://note.mu/shiobe1991/n/n758a5facb0fc


あとこちらは僕がさらっとdisられている、ツイッター界の妖精こと中村ぽんが書いた記事もどうぞ!!

https://note.mu/afidlow/n/n8fff5e7056bf





いやー、みんなおもしろいなあ。本当にね、書き出してみたものの、とくに書くことはないんですよ。だってみんなおもしろいんだもの!!だから僕はただの感想文です。コラムとかエッセイとかレポートとかじゃない、ただの感想文。



僕の中で印象に残ってるのは今野さんからの質問。

Q「心象」にも一次資料はある。それは記憶や思い出。それらを書く時に気をつけていることは?

A 乾いた状態で書くこと。人を泣かせる文章は簡単に書ける。それよりも乾いた状態の文章の方がいい。




衝動で書く文章にはきっと熱があり、潤いがあり、人の心をぐわんぐわん動かす。でもそれをせずに、少し置いて乾いた状態で書く。その意味とは。きっとその乾いた状態のその文章、心の事象の中に残る1割の心象、その中にこそ、その人の「らしさ」がより濃く残るのかもしれない。

例えば、大切な人が亡くなって何回忌などでみんなが集まって、故人との思い出を話す。

たとえ誰かと同じ日の思い出だったとしても、それぞれの見ていた場所や時間はきっと違うと思う。それがその人の大切に思っている場所であり、その人らしさなんだと思う。

だから乾いた状態って、すごく大切なんだろうって思う。





でもね




これね




難しくない!?




だってさ、僕なんかさ、全然乾かないぜ!?冬場のパーカーのフードくらい乾かないぜ!?もう生乾きで着ちゃうぜ!?

そして今野さん!あの人、もっと乾かないでしょう!?梅雨時にびちょぬれになったスニーカー(中に新聞紙詰めない)くらい乾かないでしょう!?しかもそれ、平気で履いちゃうでしょう!?ガンガン履いちゃうでしょう!?




だから僕はきっと、そういう文章が読みたいんだろうなー。なんかこう、ラブレターみたいなやつ。あー。そうだ。僕はきっとラブレターが読みたいんだ。ラブレターが書きたいんだ。

だって貰ったことないから。渡したことないから。あ、泣きそう。泣きそうだぞこれ。モテたすぎるぜちくしょう。



でもまあ、そんな文章ってさ、キモいよね。かなり。笑



でもそれでも、たまに誰かが僕のこの、自分が読みたいだけで書いているブログを見てくれて、何かしら感じてくれて、コメントまでくれたりする。それってやっぱり嬉しいことですよ。僕はそんなあなたたちが大好きです。



みんなはどう?




どうだい?





なんていうか、





その、






僕のこと、




















好き?





全部忘れてしまっても。

先日、嫁と娘と、嫁のお母さんが3人で長野へ旅行に行った。目的は長野に住んでいる嫁の母方のお婆ちゃんにひ孫を見せに行くため。本当はもっと早く行きたかったけど、子どもが小さく、車もない我が家ははなかなか遠出ができず。そうこうしているあいだにもともと持っていた認知症が進んでしまい、施設に入った嫁のお婆ちゃん。ひ孫どころか嫁自体をわかってもらえるかどうかは分からなかったけど、そこはもう『ひ孫を見せられた』っていう自己満でもいいんじゃない?ということで会いに行くことになった。


なったのだが


好奇心旺盛すぎるうちの娘が、大好きなお婆ちゃん(嫁のお母さん)と、大好きな新幹線に乗って、大阪から長野へ電車を乗り継いで行く控えめに言ってボロボロになるほど大変だったらしい行きの時点でもう帰りたかったらしい大変だっただろうなー。僕なんか、その様子を想像しただけでもう帰りたいもん。笑



それでもなんとか長野へ到着して、嫁のお婆ちゃんへ会いに行ったんだけどやっぱりもう嫁のことが分からなくなっちゃってたらしい。



嫁が自分のことを説明してたら

「あら、◯◯ちゃん(嫁の名前)かいー。おっきくなったねぇー。」って言ってニコニコしてて。嫁の小さい頃のことは覚えてくれてるみたいで、娘のことも可愛いねって言ってて、ひ孫だよって教える度にすっごいびっくりしてくれたんだって。

だから想像してたよりは覚えてくれてたらしいけど、やっぱり自分たちのこと一瞬で忘れちゃうから何回も何回も説明してたらしい。

「お別れの瞬間もあっさりしてて、すぐに遠くを見つめて離れてっちゃったから、あーやっぱり本当に認知症になってるんだなーって思ったよ」って言ってるのを聞いてて僕は今にも泣きそうになってた。



「でもね



嫁が涙を溜めながら、ゆっくり話してくれた。



「でも、施設に会いに行った時にちょっとお散歩する時間があって。みんなで散歩しようってなったんだけど、そしたらお婆ちゃんが『暑いからねー、ちゃんと帽子しないとねー。』って言って、お母さんでも娘でもなく私に自分の麦わら帽子を被せて、アゴの下でギュって結んでくれたの。それは、私がお盆とかで会いに行く度に、お婆ちゃんがいつも私にしてくれてたことだったの。私が誰かも分からなくなってるはずなのに、私にしてくれたの。」


そう泣きながら話す嫁を見て、もう僕は涙が止まらなくて、2人でダーダー泣いてしまった。



僕にも、もう亡くなってしまったけど認知症で施設に入っていたお婆ちゃんがいた。中学、高校の時に施設に入ってた婆ちゃんに会いに行くと、もう僕の事が分からないしすぐ忘れてしまうのに「あの子は元気か?ちゃんと食べてるのか?」って何回も親父に聞いてて。当時は(いや、目の前おるやん。さっきも言ったやん。)とか思ってて嫌だったけど、今考えるとあれは婆ちゃんの中で子どもの僕が生きてたんだと思う。お婆ちゃんの中には今じゃない、子どもの頃の僕が生きてて、そんでいっぱい遊んだり、わがままいったり、困らせたりしてたんだろうなって思うようになった。誰かの中で生きてるって、とても幸せなことだと思う。お婆ちゃんは今の自分たちが分からないし、すぐに忘れてしまうけど、あの人たちの心には小さいころの嫁や僕がたしかにいて、お婆ちゃん心の中を走り回ってたんだ。「お腹すいた」とか「疲れたー」とか言って、たくさん好き勝手やってるんだ。


でも僕自身ははお婆ちゃんに対して本当に酷いことばっかりしてきたので、どんな楽しかった事を思い出しても最後には後悔ばっかりが残ってしまう。その辺の話はこちらなので、まあ恐ろしく暇な時にでもどうぞ。


昔の話 - https://kijifu.hatenablog.com/entry/2018/08/19/023202




娘なんてまだ3歳でこれからいろんな思い出が増えていって、同時にいろんな思い出が消えていくだろう。いいんだよ。たくさんたくさん忘れていいんだ。僕と嫁は絶対に忘れないから。たとえ忘れても、心のどっかに端っこだけでもちゃんとひっかけておくから。



僕だって嫁だって、いつ、どんな事故や病気でお互いのことや娘のことを忘れてしまうかも分からない。でもたとえそうなっても、頭の中から消えてしまっても、きっと心のどっかにはいて、しつこくこびりついて消えないだろう。



だけどもしも全部忘れてしまっても、全部ぜーんぶ忘れてしまっても、たとえ今のことが分からなくても、それでも、無くならないものはきっとあると信じたい。いや、きっとある。婆ちゃん、僕は今日もたくさん食べたよー。最近、たくさん食べ過ぎて体重が人生最大になったよー。ピンチだよー。

娘の誕生日に思ったこと

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娘が3歳になったよー!!ひゃっほーい!!

嬉しいなー!!めちゃくちゃ嬉しいなー!!

子どもって本当にかわいくて、キラキラしてて、一緒にいる親たちまでつられてキラキラして、毎日本当に楽しくて幸せな毎日だー♡







ってことはまったくなく!!笑

本当にわからんことばっかりで、いっぱい悩んだり苦しんだりしながら、なんとか死なさずに3歳まで育ってくれたなーって思ってる。世の中にある悲しいニュースを見ては、自転車乗ってたら轢かれて死ぬんちゃうかとか、公園行ったら変なやつに襲われて死ぬんちゃうかとか、夏になったらプールや熱中症で死ぬんちゃうかとか、不安なことばっかりで。それでも楽しさを忘れずにいつも接してくれてる嫁ちゃんには感謝しまくりやなあ。





子育てって感覚的には楽しい、嬉しいことは全体の2割程度で、ほとんどが悩んだりしんどかったりすることばっかり。まあその2割が爆発的に楽しくて嬉しいから、それでチャラどころかもうおつりがくるくらいなんやけどね!!笑



それでもやっぱり悩んだりしんどかったりする事は本当に多くて、しかも次から次へと湧いてくる。その中で、自分に余裕がある時は大丈夫なことでも、いくつも重なってしまうとつい子どもに対して強く当たってしまったり。

そしてそれが重なると、子どもに対して言ってはいけないこと、してはいけないことを言ってしまいそうになる、してしまいそうになる。虐待のニュースを見る度に怒りを覚えつつも、誰にでもそうなる可能性はあるよなと思って怖くなる時がある。




でも自分があちら側に行かずいつも踏ん張れるのは、自分を育ててくれたじいちゃん、ばあちゃん、親父のおかげで。あの人たちは絶対に自分に対してそんな事をしなかった。いつまでもしぶとく、めんどくさいくらい自分を見てくれていた。

今、この環境、この自分があるのはあの人たちが私のことを何があっても諦めんかった、見捨てへんかった、そのおかげだと思ってる。だから自分もいつも一線を超えそうになる度にあの人たちのことが浮かび、あちら側に行かずに耐えることができる。そう思っている。虐待をしてしまう人は、その瞬間に止めてくれる存在がその人の中にはいないんだなと思ったら悲しくなるよね。だからって虐待は許されるものじゃないけどさ。




子育てとか、親とか。難しいことはよく分からないし偉そうに語る気もないけど、娘にとっての自分達が、私にとってのじいちゃん、ばあちゃん、親父のような存在でいられたらなって思う。

娘がいつか、悲しみや怒りでどうにかなりそうなとき、道を踏み外しそうなとき、絶対に越えてはいけない一線を越えそうな時、その寸前のところで、嫁の顔や私のアホみたいな顔が浮かんでくれたらなーって思う。娘が寸前のところで踏みとどまれる、踏ん張れるような、そんな存在でありたい。






お互いを選びあった親たちとは違い、『たまたま』自分達の元に生まれてくれた娘に自分達ができることなんてそんなもんじゃないかなー。あとは肯定してあげる事。何でも好きなことやったらいいよ。あ、でも極度に危ないことはやめてね?あと落ちたの食べないでね?あと鼻くそとか手で食べた後とか服で拭くのやめてね?あと文字数




娘よ。3歳おめでとう。うちの子に産まれてきてくれてありがとう。たいしてなんの役にもたってない親父やけど、またいっぱい遊ぼね。

読みたいことを、書けばいい。 を読んだのだ。

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田中泰延さんの著書『読みたいことを、書けばいい』読み終わりました。一度全部を通して読み終えて、気になった文章の部分に戻ってパラパラと読み直して。んあーっていろいろと考えて。

そんでね、まあせっかくブログもやってるし、読み終わった感想でも書いて泰延さんにリツイートしてもらって、ちょっと伸びていろんな人に感想を言ってもらってニヤニヤでもしてやろうかしらと考えていたのよ。






でもねえ、書けない!書けないのよこれが!






まずねえ、書くことがない!笑

いやこれは「何も感じなかった」とか、「おもしろくなかった」とかそういうんじゃないのよ。だって私、不感症とかじゃないんだもの。むしろ敏感なほうよ?ビッシャビシャよ?だけど本当に書けない。書くことがない。だって全部書いてあるんだもの。泰延さんの読みたいことを、泰延さんが調べに調べた膨大な知識の量で、泰延さんがおもしろいと思う書き方で、泰延さんが書きたいように。それを読んで、いったいなにを書けというのか!!笑




あともひとつ。みんなのレビューがおもしろすぎるからだよ!!笑




これを読んでるあなた!こんな文章を読んでいるヒマがあったら今すぐこれらのリンクにぶっ飛びなさい!堪能しなさい!飲み干しなさい!じゅうぶんだから!じゅうぶん過ぎるほどじゅうぶんだから!むしろもうこんなブログ読むな!帰れ!金返せ!




読みたい本を、作ればいい。

今野良介

https://note.mu/konnor/n/n6257110d7b88




『読みたいことを、書けばいい。』~「文字がここへ連れてきた」は本当~   加藤広大 

https://note.mu/kodaikato/n/na86a7487655b



あなたはゴリラですか?【読みたいことを、書けばいい。】仲 高宏

https://note.mu/naka3ws/n/n31ded0aaa5ea



2019年上半期、凄みのある4冊」前田将多

http://monthly-shota.hatenablog.com/entry/2019/06/30/153512



読みたいことを、書けばいい。について、書きたいことを書く。上田  

https://note.mu/go_ueda/n/n715e706bf107



書評『読みたいことを、書けばいい。』~「孤独」と「僕」と「笑い」について

金子ゆうき

https://note.mu/yukisankanesan/n/nf026beca694d




全部読んだ?






全部読んだことある人、もう一回読んだ?






もう一回読んだ人、今ヒマ?






大丈夫?






予定とかない?






ささくれめくった?






かさぶた剥いた?






ニキビのニュンッて出てくるやつ出した?






時間余ってる?






じゃあ続き読んで♡






いやーこんなに素晴らしいレビューがどんどんね、出てくるわ出てくるわ。出てくるものがまたおもしろいわおもしろいわ。

書かれへんやないか!!こんなもん!!何も書かれへんわ!!笑





それでもなぜか嫁と娘が寝静まった夜にポチポチとiPhoneでね、書いては消して書いては消して。これ何がしたいん?ぼくは何がしたいん?っていう日々をダラダラとやってるわけですよ。うん。本当に何がしたいん?笑





ぼくなんてね、本もまったく読まず、大した知識もなく、泰延さんの話についていけない時があるし、そもそもイベントでお会いできるくらいで仲が良いわけでもないし、ツイッターでは度々ウザく絡むものの、そないにリツイートもされへん、『良い人止まり』ならぬ『いいね止まり』ばっかりだし。まあ泰延さんからすればいてもいなくても変わらんような人間ですよ。




それでも普段からツイッターで見かける、いつもおもしろいことを言っている、なにやらケーキを食べ残したと言われているおじさんを好んでフォローし、発信されるツイートに笑い、『いいね止まり』のくせにうざったらく絡み、公開される記事の長さやおもしろさに驚き、発売された書籍をニヤニヤしながら購入し、何度も噴き出しながら読み、その感想を何とかブログにしようとポチポチ打っては消して、打っては消してしているわけです。






何のために?








それが知りたいからなんじゃない?





何でこんなに書こうとしちゃうのか。何でこんなに自分の中にある良く分からんなにかを形にしようとしているのか。何でこんなにかわいいのかよ。孫という名の宝物。





いやー、ぼくはね、ひとことで言えば泰延さんに『ありがとう』って言いたいんだと思う。




『読みたいことを、書けばいい』を読み終えて、最初の感想をぼくはこうツイートしました。

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あ、スクショ撮ったの13時13分や!!


いやそんなんはどうでもええねん!!




そして金子ゆうきさんの書評を読ませていただいた僕のツイートがこちら。

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あ、充電してる!バッテリー少なくなってたんやね!


いやそんなんはどうでもええねん!!




ぼくはもうすっごい寂しがりやのかまってちゃんで。こう書くとなにやらかわいい雰囲気でるけど、おっさんやからな!めちゃくちゃおっさんやからな!

でもそれを素直になかなか言えないものでして。ところが泰延さんは素直に言っちゃうしみんなを巻き込んで孤独に抗う。だから泰延さんの周りに人が集まって、誰かを引き寄せたり誰かと誰かをくっつけたり、僕みたいな鬱陶しいやつを呼び込んだりしちゃう。



そしてそんな鬱陶しいやつに対してもツイッターだと一応は目を通して『いいね』をくれる。面白ければリツイートしてくれる。ブログだって読んで面白ければリツイートして広めてくれる。ぼくのおもしろいは、みんなのおもしろいでもあると教えてくれる。どうしようもないほどの孤独から救ってくれる。ひとりぼっちの寂しさを飛ばしてくれる。




ってツイッターでの田中泰延さんの話ばっかりじゃねえか!!笑




いや、いいんだよ!本に関しては言うことないんだもの!!本に関してのレビューは素晴らしいのがいっぱいあるんだもの!てゆーかツイッターでの泰延さんしかあんまり知らんし!だからいいのだ!これでいいのだ!




でも先日、ぼくにも「文字がここへ連れて来た」としか思えないような出来事があった。

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「良い言葉は必ず自分を良いところへ連れてゆく」は本当だった。文字は本当に連れてってくれた。普段からツイッターばっかりやっている、寂しがりやでかまってちゃんな17人のおじさんが集まったのだ。本当に楽しい夜だった。




田中泰延さん、本当にありがとうございます。マキシマム ホルモンの記事を読んで泰延さんを知り、ツイッターをフォローし、しつこく絡み始め、その結果ぼくには沢山の友人ができました。たくさんの本や映画に出会いました。こんな良く分からんブログを書くようになりました。そして『読みたいことを、書けばいい』というすてきな本を読むことができました。ぼくはこれからもツイッターやブログで自分の読みたいことを書いて、好きな人と会って、好きな話をします。






さー、文字よ、今度はどこに連れてってくれるんだ。おらすっげーワクワクすっぞ!!