kijifuのブログ

なんやかんやのアレ

全部忘れてしまっても。

先日、嫁と娘と、嫁のお母さんが3人で長野へ旅行に行った。目的は長野に住んでいる嫁の母方のお婆ちゃんにひ孫を見せに行くため。本当はもっと早く行きたかったけど、子どもが小さく、車もない我が家ははなかなか遠出ができず。そうこうしているあいだにもともと持っていた認知症が進んでしまい、施設に入った嫁のお婆ちゃん。ひ孫どころか嫁自体をわかってもらえるかどうかは分からなかったけど、そこはもう『ひ孫を見せられた』っていう自己満でもいいんじゃない?ということで会いに行くことになった。


なったのだが


好奇心旺盛すぎるうちの娘が、大好きなお婆ちゃん(嫁のお母さん)と、大好きな新幹線に乗って、大阪から長野へ電車を乗り継いで行く控えめに言ってボロボロになるほど大変だったらしい行きの時点でもう帰りたかったらしい大変だっただろうなー。僕なんか、その様子を想像しただけでもう帰りたいもん。笑



それでもなんとか長野へ到着して、嫁のお婆ちゃんへ会いに行ったんだけどやっぱりもう嫁のことが分からなくなっちゃってたらしい。



嫁が自分のことを説明してたら

「あら、◯◯ちゃん(嫁の名前)かいー。おっきくなったねぇー。」って言ってニコニコしてて。嫁の小さい頃のことは覚えてくれてるみたいで、娘のことも可愛いねって言ってて、ひ孫だよって教える度にすっごいびっくりしてくれたんだって。

だから想像してたよりは覚えてくれてたらしいけど、やっぱり自分たちのこと一瞬で忘れちゃうから何回も何回も説明してたらしい。

「お別れの瞬間もあっさりしてて、すぐに遠くを見つめて離れてっちゃったから、あーやっぱり本当に認知症になってるんだなーって思ったよ」って言ってるのを聞いてて僕は今にも泣きそうになってた。



「でもね



嫁が涙を溜めながら、ゆっくり話してくれた。



「でも、施設に会いに行った時にちょっとお散歩する時間があって。みんなで散歩しようってなったんだけど、そしたらお婆ちゃんが『暑いからねー、ちゃんと帽子しないとねー。』って言って、お母さんでも娘でもなく私に自分の麦わら帽子を被せて、アゴの下でギュって結んでくれたの。それは、私がお盆とかで会いに行く度に、お婆ちゃんがいつも私にしてくれてたことだったの。私が誰かも分からなくなってるはずなのに、私にしてくれたの。」


そう泣きながら話す嫁を見て、もう僕は涙が止まらなくて、2人でダーダー泣いてしまった。



僕にも、もう亡くなってしまったけど認知症で施設に入っていたお婆ちゃんがいた。中学、高校の時に施設に入ってた婆ちゃんに会いに行くと、もう僕の事が分からないしすぐ忘れてしまうのに「あの子は元気か?ちゃんと食べてるのか?」って何回も親父に聞いてて。当時は(いや、目の前おるやん。さっきも言ったやん。)とか思ってて嫌だったけど、今考えるとあれは婆ちゃんの中で子どもの僕が生きてたんだと思う。お婆ちゃんの中には今じゃない、子どもの頃の僕が生きてて、そんでいっぱい遊んだり、わがままいったり、困らせたりしてたんだろうなって思うようになった。誰かの中で生きてるって、とても幸せなことだと思う。お婆ちゃんは今の自分たちが分からないし、すぐに忘れてしまうけど、あの人たちの心には小さいころの嫁や僕がたしかにいて、お婆ちゃん心の中を走り回ってたんだ。「お腹すいた」とか「疲れたー」とか言って、たくさん好き勝手やってるんだ。


でも僕自身ははお婆ちゃんに対して本当に酷いことばっかりしてきたので、どんな楽しかった事を思い出しても最後には後悔ばっかりが残ってしまう。その辺の話はこちらなので、まあ恐ろしく暇な時にでもどうぞ。


昔の話 - https://kijifu.hatenablog.com/entry/2018/08/19/023202




娘なんてまだ3歳でこれからいろんな思い出が増えていって、同時にいろんな思い出が消えていくだろう。いいんだよ。たくさんたくさん忘れていいんだ。僕と嫁は絶対に忘れないから。たとえ忘れても、心のどっかに端っこだけでもちゃんとひっかけておくから。



僕だって嫁だって、いつ、どんな事故や病気でお互いのことや娘のことを忘れてしまうかも分からない。でもたとえそうなっても、頭の中から消えてしまっても、きっと心のどっかにはいて、しつこくこびりついて消えないだろう。



だけどもしも全部忘れてしまっても、全部ぜーんぶ忘れてしまっても、たとえ今のことが分からなくても、それでも、無くならないものはきっとあると信じたい。いや、きっとある。婆ちゃん、僕は今日もたくさん食べたよー。最近、たくさん食べ過ぎて体重が人生最大になったよー。ピンチだよー。