kijifuのブログ

なんやかんやのアレ

これからの腹ペコの話をしよう

私とマキシマム ホルモンの出会いは、今から14年前、16歳の頃である。

当時はものすごいバンドブームで、中3の頃にゴーイングステディを聴いてズバコーンとやられた私は、そこからガガガSPサンボマスター太陽族メガマサヒデフラワーカンパニーズなど、日本語でロックを歌うバンドやいわゆる「青春パンク」と呼ばれるものにどハマりしていた。生まれて初めて友達と地元の三重から、名古屋のダイアモンドホールというライブハウスに行って観たイベント「SET YOU FREE」でもみくちゃにされ、生で観たライブ、生で観た銀杏BOYZの峯田にこりゃまたズバコーンとやられた私は、とにかく日本語ロックや、フォークなどをアホみたいに聴き漁っていた。





その当時、まわりはいわゆるメロコアがめちゃくちゃ流行っていて、10-FEETエルレガーデンkenyokoyama、ハイスタとか聴いてる人が多かったんやけどあとミクスチャー。DragonAshとかRIZEとか。それらを聴いてるやつはみんないわゆる「イケてる」グループのやつらばっかりで、ひねくれまくってた俺は「何がメロコアじゃ!何がミクスチャーじゃ!日本人が英語つかいやがって!日本人なら日本語で言いたいこと言えや!」って思ってまったく聴いてなかった。

これはひがみでしかなかったんやけど。笑




そんな中である日、友達から勧められてMDで聴いたマキシマム ホルモン。糞盤。もう聴いた瞬間にズバコーンとやられたってことはまったくなかった。だって何言ってるか全然分からんのやもん。笑

何これ?英語?よう分からんわ。みたいな感じ。てゆーか何より聴かせてきたやつがイケてるグループのやつで、こんなやつがええ言うバンドなんかええわけないやん!っていうめちゃくちゃな偏見でしか聴いてなかった。マジでうんこ俺。




そんな感じで、とにかくイケてるやつらを目の敵にし、日本語ロックやフォークばっかり聴いて全然モテへんイケてない学校生活をしてた高2の時に、わりとイケてないグループの友達から、「ホルモンのチケット余ってるんやけどライブ行かへん?」って言われて、わりと二つ返事で「行く」って言った私。結局は人かい!どんだけひねくれてたんや!笑

それが当時ニューアルバムやった「ロッキンポ殺し」のツアー。しかもなんと地元のめっちゃちっちぇえライブハウス。今なら間違いなくプレミアのやつ。笑

多分キャパが100人そこそこぐらいのとこで初めて観るホルモンのライブ。そりゃもうやられちまいましたよ。ズバコーンとね!!笑

ヘドバンしまくって暴れまくって疲れ切って、余韻に浸ってる中で友達と話してた時の事。私が「ホルモンすごいなー。これで歌詞が日本語やったらええのになー」って言った一言。この一言に友達はとんでもない返しをぶっ放してきたのである。




「え?ホルモンの歌詞、日本語やで?」




ズバコーン。




いや、マジでホルモンはイケてるやつのMD以来聴いてなかったし、なんやったらホルモン聴いてるやつ小馬鹿にしてたから、なんも知らんかったんよ。ライブも予習無しで行ったし。クソ野郎やろ?自分でめっちゃそうやと思うもん。笑

そこから私は友達宅に泊まる予定じゃなかったのに無理矢理泊まりにいき全てのアルバム、CDを聴き、歌詞カードを読み、マキシマムザ亮君による曲解説を熟読し、見事にその日3度目のズバコーンをくらい、ズッポリどハマりし、腹ペコになったのであった。





そこからはもうCD全部揃えて聴きまくって、高校卒業して大阪に出てきてからは、ライブが近くであれば応募して、どんどんチケットが取れなくなることにイラつきを覚え、人気になってきて巷に増えだした「マキモン」とか「マキホル」とか「亮くん」とか使うにわかにイラつきを覚え、「なんかよくわかんないけど好き」とか「歌詞とかあんまり意味わかんないけど好き」とか言うにわかにイラつきを覚え、チケットが取れた日にゃあ発狂し、ライブで全てのイラつきやモヤモヤを吹っ飛ばしていたのである。




だからまあ、ダイスケはんの喉の影響で休止した時はショックやったし、ナヲちゃんの2度の出産ではめちゃくちゃ泣いたし、特に2回目なんかはちょうど私のところも嫁が妊娠してたから、その前のナヲちゃんの事とかも読んでて2人で尚更泣いたし。笑

マキシマムザ亮君新型インフルエンザとか痛風の事件では笑ってしまったし(マジ失礼。すみませんww

地獄絵図にも必死で応募したし、腹ペコ統一試験もやったし。イマイチやったけど。林間学校めっちゃ楽しそうやったなー

そんな感じで、まあ好きなのはもちろん大好きやけどめちゃくちゃ詳しい人ほど詳しくもなく、知らん人ほど知らなくもないよう分からんラインの腹ペコなんですよ私は。




そんな微妙なラインの腹ペコの私が最近、ホルモンの書籍「これからの麺カタコッテリの話をしよう」読みました。聴きました。ライナーノーツ、コピー、巻末文、全て見ました。いやあ、これはヤラレタ。




なんか俺らさ、知らん間にグルメになってたんじゃない?ホルモンを好きなくせに、気が付けば自分達がただのロックではもう勃たない、「ロッキンポ野郎」になってたんじゃない?ホルモンに対してすっげえ高級なコース料理を求め過ぎて「これにはきっとこういう目的があるはず」「これの次にはこれがきて、それにはウラがあるはず」とかなってたんじゃね?もしくは勝手に全部分かりきった気になって「亮君マジ分かる」「さすが亮君」という感じで、信者みたいになってたんじゃね?

違うだろう!!ホルモンが、マキシマムザ亮君が求めてるのはグルメ野郎とか信者じゃなくて、クラスメイトだろう!クラスメイトってのはいちいち人の行動のウラを読んだり深読みしたりとか、何にでも「すげえ分かる。さすが。」みたいに言う関係じゃないだろう!だってみんなマキシマムザ亮君の事分かる?私は分からん!だってあの人、変やもん!




クラスメイトってのはさあ、そんなんじゃないやん?ヒロカワ君みたいな人の事やん?あ、そうか。ホルモンの話をするには、まずはヒロカワ君の話をしなければならないのか




私が中学一年生の時、いろんな小学校から集まった中学でヒロカワ君と私は出会った。彼とはすぐに会話をするようになった。ものっすごいエロかったからだ。そして高校生の兄がいたヒロカワ君は、ものっすごいAVとかいろいろ持っていて、それはもうものっすごい借りたし、ものっすごいオナニーの話とかした。別に学校以外で遊んだ事はなかったし、お互いの恋話とかそんな話をしたこともなかったけど、テレビで深夜、エロい番組をしていて私が「これヒロカワ君見てるやろなー」って思ったら絶対見ていたし、ヒロカワ君が「これ絶対好きやろから貸すわ」と言って貸してくれるAVはそれはもうドンピシャやった。今じゃもう連絡先も何してるんかも知らんけど、もしなにかのタイミングでヒロカワ君とまた会った時、私たちは変わらずエロ話をするだろう。




友達や家族とはまた違う存在、クラスメイト。仲良いようでそうでもないような、でもクラスメイトにならないと友達にはなれないような、そんな特別な存在。それがクラスメイトじゃないのだろうか?マキシマムザ亮君が求めてるのはそれだろう!




何かに興味を持つ、何かを好きになるってのは、それを考えることから始まると思う。私はさっきマキシマムザ亮君の事を分からないと言ったが、ただの「分からない」と、考えた結果の「分からない」では、まったく意味が違ってくる。

あとアレ。未だに「マキホル」とか「亮くん」とか「亮くん痩せた?」とか、もはや好きかも分からない、好きとか言ってるくせに最低限のことを調べようとも考えようともしない人達のことはもう知らん。ほっとけ。ああいう人達はウィキペディアで「パイパン」を調べていたらいつのまにか「宇宙」の項目を読んでた経験とかないんやろなあ。




上にも書いたが、ただの「分からない」と、考えた結果の「分からない」では意味が違う。ヒロカワ君と出会ったばかりの頃、私は貧乳派だった。ヒロカワ君は巨乳派だった。私は考えもなくヒロカワ君に「巨乳の何がいいか分からない」と言った。そうするとヒロカワ君は巨乳に対する熱い思いを語ってくれた。巨乳のAVを貸してくれた。私は真摯に聞いた。そして、真摯に観た。私は、巨乳派へとジョブチェンジした。でもきっとヒロカワ君は、話して、貸した結果、私が貧乳派から変わらなくても関係は変わらなかったと思う。なんの考えもなく「分からない」と言った私に、「こうだろう!」と必死に話してくれたヒロカワ君はすごいと思う。

マキシマムザ亮君もきっと一緒だろう。「分からない」ことにイラつくのではなく、「ロックソング目で聴け」と歌い、歌詞カードに丁寧に曲解説まで書いたのに、読みもせず、考えもせずに「分からない」というやつにイラついているのだ。きっとしっかり考えた結果の答えが「分からない」であれば、「これはこうだろう!」と亮君は電気アンマをしながら説明してくれるんじゃないだろうか。





でもなかなか腹ペコ歴が長くなってしまうと言いにくくなってしまう。それを石井恵梨子さんはライナーノーツでビシッと言ってくれた。これはヤラレタ。





また、深く考え過ぎたり、自分がこうあって欲しいという、もはや考えではなく「願望」になってしまっているのも良くない。




かつて糸井重里さんは「今日のダーリン」で「なんでも『過ぎる』のは良くない」と仰られていた。そう。『過ぎる』のは良くないのだ。私とヒロカワ君が互いの好みを分かっていたのも、クラスメイトという適度な距離感で、互いの事を適度に考えていたからではないだろうか。決して深くではなく、しかし適度な回数で。またヒロカワ君出てきた。ちょっともう出過ぎやから。どっか行って。




そう。考え過ぎず、かと言って考えなさ過ぎず。ちょっとの考えを何回かに分けて、ここ数日はずっと糸井さんが書いたコピーの事を考えていた。

売る前に買え売る前に買え売る前に買え

考えるな感じろあれ?これじゃね?





かつてブルース・リーが映画「燃えよドラゴン」にて言ったこの名ゼリフ。これと似ているんではないだろうか。

私たちはグルメ腹ペコになってしまい、すっかり亮君が与えてくれるごはんのおかずばっかり食べようとしていたのではないか。

たしかに、亮君は本当にたくさんのおかずを与えてくれる。それは歌詞の中であったり、曲解説であったり、パッケージのちょっとした細工であったり様々だ。でもそれは、あくまでおかずだ。ごはんを美味しく食べるためのものだ。そう。ごはんがメインなのだ。ごはんを食う前からおかずの話ばっかしてんじゃねえ!まずは目の前のごはんをかきこめ!たらふく食らえ!まずはそこからだ!考えるな、感じろ!とにかく聴きまくれ!読みまくれ!売る前に買え!そうだ、もっとだ!そのことに気づかせるために、わざわざ亮君は糸井さんにコピーをお願いしたのではないだろうか。これはヤラレタ。




一体なぜ、マキシマムザ亮君はこんなにもたくさんの「分からない」や「ごはん」をくれるのか。それは漫画の巻末にて田中泰延さんがとてもシンプルに分かりやすく語ってくれている。「好きだからそうしている」だけなのだ。自分がただ好きで面白いことをやって、それを同じように面白がって乗っかってきてくれるヤツがいると信じてくれているのだ。これはヤラレタ。





じゃあ俺たち腹ペコがこれからやることはなんなんだ?グルメぶることか?信者になることか?すぐ「分かんない」とか言っちゃうことか?違うだろう!全力で乗っかることだろう!全力で考えることだろう!そして全部分かるのはきっと無理だ!だってあの人変やもん!笑





この辺で、私はある思いがよぎった。きっとこの本は、新しいマキシマム ホルモンの「入門編」みたいな作品なんじゃないかと。

「これからの麺カタコッテリの話をしよう」というタイトルもだし、漫画「アウトサイダー広告代理人」はまさにマキシマムザ亮君の今までとこれからを書いた自己紹介のような作品だし。CDでは腹ペコに対する呆れや怒りだったり、そんな中にある赦しや喜びであったり。過去の作品を昇華させ、俺たちは次のステージに行くという決意であったり、もうマジで俺たちは好きなことやってっから、お前らはどーすんだよ?って言う問いかけであったり。本当にマキシマム ホルモンの「過去」と「未来」を詰め込んだような作品なんじゃないかと思う。まあこれも履き違えた深読みで、亮君からしたらマジでうぜえくらい「浅い」んかもしれんけど。




でもいいや。そしたらまた考えるさ。そしてその前に全力で楽しむからな!だからこのブログ、マキシマムザ亮君読んでくれへんかな

読んでくれたら幸せやな。そんで「お前、ちょっとは分かってんじゃねえか!」って言ってペッティングしてくれたら最高やな。でも「全然違う!お前は全然分かってない!」って言って電気アンマしてくれたらそれはそれで最高やな。



とにかく、私ももう好きに考えるし、好きに乗るし、全力で楽しむからな!お前らはどうすんの?まだしょーもない深読み続けんの?まだ分かった気になって信者続けんの?まだ最低限調べたらすぐ出てくるような、クソリプ送り続けんの?みんなどうする?






さあ、「これからの腹ペコの話をしよう」