kijifuのブログ

なんやかんやのアレ

フレディと未来の話

ボヘミアンラプソディ』を観た。いや、これはあかん。とんでもないモノを観てしまった。余韻で本当にしばらく動かれへんかった。そして思った。フレディは俺で、フレディはみんなやと。





先にハッキリ言っておきますと、私はクイーンってバンドはいわゆる、ドンドンパッの曲、自転車の曲、ママ~って言ってる曲、なんか日本語の曲とかそんな感じでしか知らず、フレディ・マーキュリーはめっちゃ歌がうまい変なカッコと、変な動きのゲイの人って事しか知らない、人並み程度の知識で、完全なるミーハー心でみました。なのでフレディ・マーキュリーが実際にはどうだったかとかなんて知らないので、あくまでも『ボヘミアンラプソディ』という映画の登場人物のフレディ・マーキュリーの話をします。

あとなるべくネタバレしないようにしてます!!してたらごめんなさい!!






先にちょっと、自分の話を。笑

私は、昔はわりと不幸めな人生やったという自負がある。その辺は前に書いた『昔の話』という記事があるので読んでいただければ嬉しい。んでまあ、その辺は割と受け入れてたんやけど、他にもうひとつ、受け入れられないというか、薄々知ってはいたけど認められへんコンプレックスがあった。私は本当に『ブサイク』やった。太ってたし、眉毛も濃かったし、すぐに頬っぺたが赤くなるし、くせ毛やったし言い出すとキリがないくらい、嫌な所ばっかりやった。でも、それを口に出してはなかったし、誰からも表面上では言われてなかったので、周りから見たら気にしてるようには見えてなかったと思う。それでなんとかしていた。中2くらいまでは。




2くらいになると、やっぱり服装や髪型に気を使う人が増えてきたり、『キモい』という言葉が浸透してきていて、元々イジられキャラやった私は、ちょいちょいその辺をイジられるようになってきた。ここで自分も気を使うようになれば良かったんやけど、イジられキャラの自分がそんなとこを気にしたらあかんという意味の分からん義務感と、恐怖感と、純粋に何をどうしたらいいか分からんという気持ちで、内心キズつくことがあってもヘラヘラして受け流していた。





でも、自分が『ブサイク』だという事を否が応でも認めざるを得ない瞬間が中3の時にあった。友達から、下の学年の女子が私の事を「人間の顔じゃない」って陰で言ってるって聞いたのを知った。これはね、ショックやったね。友達もそんなんわざわざ言ってくんなよ!しかも笑いながら!!笑

その辺から私はまあ自分が、『ブサイク』ってことを受け入れたつもりで、自分からネタにしたり、イジられてもうまく返せるようにしたり、なるべく髪型や眉毛、服装に気を使って、人に不快感を与えんようにしたり



でもまあ、コンプレックスってものはなかなか消えんよね。未だに自分の顔面とかすっごい嫌になるもん。なんでこんな顔なんやろとかめっちゃ思うもん。




なんでこんな話をしたかというと、フレディも一緒だったんじゃないかなと。生い立ちや容姿、自分の好きなモノ、人、性的な嗜好認められないもの、認めたくないもの、認めてしまったらどうなるんだろうという恐怖。その中で常に闘い、踠いて、苦しんでたんだろうな。そしてそれはどこまで売れても決して拭えるものでも無くなるものでもなくて、逆に売れれば売れるほどそれは本当の自分じゃないような、でも本当の自分を出せば全てがなくなるような中にいたのかもしれない。

そりゃ例え偽りや甘い汁目的だったとしても、少しでも甘えられる人がいたら縋ってしまう気がする。




だけどフレディは私みたいに、どうしようもないことをいつまでもウジウジ悩んだり、被害者ぶったりしていなかった。たとえコンプレックスを抱えようと、仲間に裏切られようと、不治の病に侵されようと、彼がいつも最終的に選ぶのは未来だった。未来を考え、自分の可能性を信じて、その為に動いていた。自分のネガティブな部分ばっかり考えていなかった。それはきっと難しい事なんかじゃないんやと思う。素敵なコートを着た人に「素敵だ」って言うだけ。好きなバンドに「好きだ」って言うだけ。仲間に入りたいときは「仲間に入れて」って言うだけ。ケンカしたら謝るだけ。もう一回したいって言うだけ。期待されたら、それに応えるように頑張るだけ。本当にそれだけなんやと思う。




そんなフレディ・マーキュリーという人間を観つづけた中での最後のシーン『ライブエイド』そこは映画館ではなかった。私はライブエイドにいた。会場で客として、パブでテレビを観る客として、家で受話器を持ちながら、舞台袖で友人や恋人として、バンドメンバーとして、そしてフレディとして。私は確かにそこにいて、生きていて、歌っていた。気がつくと鳥肌だらけで、汗をかいて、アホみたいに泣いていた。そしてみんなも絶対フレディになっていた。なんつー映画なんやこれは。






私はいつまでたってもきっと自分を『ブサイク』やと思い続けるやろう。そんな簡単に消せるコンプレックスじゃないし。でもこれからはフレディみたいに未来を考えていきたいと思う。それはさっきも言ったように難しい事じゃないよきっと。好きな人に「好き」って言うだけ。大切な人を大切にするだけ。過ちを悔やんで、傷つけた人には謝るだけ。





それでもし嫌われたら?許されんかったら?それはばっさり言っちゃうと、そんな奴らはあなたの人生にはなーんの関係もないよ。受け入れてくれる人を大切にして、受け入れたい人を大切にするだけ。




それでもそれでも傷ついたり、不安になったり、自己嫌悪に押し潰されそうになったら?そんときゃロックを聴こう。きっと曲を聴いてる数分間だけ、アルバムを聴いてる数十分だけ、君を無敵にしてくれるから。そしてそん中に1枚、クイーンを入れよう。クイーンが、フレディが、どうしようもなく悶々とウジウジしてる私たちを奮い立たせてくれるから。どうしようもなく悲しくて、辛くて、どうにかなっちゃいそうな私たちを「勝者」だと言ってくれるから。




あ、どうしよ。もっかい観たい。笑